大学生のとき、手相鑑定を受けました。
手相は幼い頃からなじみもあって、当たると思っていましたし、それなりの悩みもありましたので、一度きちんと見てもらおうと思ったのです。
当時、京都の四条河原町の交差点の歩道で、辻占いをしている年配女性がおられました。
よく当たるらしく行列が出来ているというので、私も思い切って並んでみたのです。
自分の順番が来て、生年月日を告げたと思います。
そして手のひらを見せました。
ところが… しっくり来ないのです。
あ、それは当たっている、という感じにならない。
鑑定する立場になってわかるのですが、当たっているときには、自分の心の奥のほうでしっかりヒットする感覚があるので、「そうですよね」とか「そうそう、そうなんです」という感じになる。
それが、初めて鑑定を受けたこの時、ピッタリくる感じがしない。
「そうなのかな」という感覚なのですが、今にして思えば当たっていなかったのですね。
それどころか、傷つくような、ちょっと酷いことも言われた。
今ここに書くのも嫌になるような言葉です。
その占い師にしたら、悪気はなかったのでしょう。
ただ、ちょっとしたことなのですが、占い師に言われると体中に毒が回るようで、ずっと残るものです。
それで、この言葉は、30年近く経って西谷先生の鑑定を受けて、ようやく覆されました。
ですので… 思うのです。
傷つけるようなことを言いっぱなしにするようなのは、占い師でも何でもない。
人生をより豊かに、人のために役立つのが占いのはずである… 人生をプラスに導いてこそ占い師であると。
ユーチューブで、手相や占いの動画を見るとよく思うことがあります。
それは、全く的外れなことを言っている場合があると。
それが影響力がある人だったり再生回数が多かったりするものですから、言葉は良くないですが、こんなデタラメには騙されないでほしいと思う。
そして、動画だけでなく、実際の鑑定でも、間違ったことや傷つくことを言って平気な顔をしている占い師も未だたくさんいるように思います。
私の鑑定は悪いことを言わないなどと言われることがあります。
これは正確ではなくて、もちろん良くない線が出ていればお伝えするのですが、プラスになるにはどうすれば良いかということをお伝えする結果、そういう話し方になるのです。
ですので、そんなふうに言っていただくのは、自分の鑑定が上手くいっている、最大の褒め言葉だと思っています。
大学生の頃受けた鑑定は、自分の人生にも、そして占い師としての在り方にも、大きな影響を与えたのでした。
さて、大学生のときには、私のもう一つの鑑定の柱、タロットとの出会いもありました。
これについては次回ということにいたします。